近況とか思うこととか。
ヨルダンにきて、
もう10日も経ちました。
お家も決まり、やっと落ち着いて暮らせるようになってきたと思います。
今住んでるお家が収納多すぎて笑えます。
壁一面が戸棚がいっぱいついてますよ笑
5/25までは、朝9時から13時まで、語学学校があるので、
なかなか早起きしなければなりません。割と辛いっすねー。
僕は今通ってる語学学校までは、今は毎朝タクシーで通ってます。
いや、タクシーほんとに安くて、だいたい2JDくらいなんですよ。
だいたい300円くらいですかね。
でも、バスに乗れば、100円もかからないんですけどね。
まだ、バスの乗り方あんまし慣れてないんですけども。
この10日間で、割といろんな人に会えました。
青年海外協力隊の方や、NGO機関で働く人、外大生、トビタテ生、、、
皆、話せば様々な目標があって、いろいろなことを聞けます。
僕の目標はなんだったでしょうか。
「シリアの紛争を止めたい」
大層な目標掲げてましたね笑
実際に現地での今の活動を通して、
目標がかなり具体的になってきた...かな?
「避難民の声を伝える」
トビタテの面接で一番声を大にして言ってたと思います。
あの時は、そんなに意識してませんでしたが、、、
今は、サダーカの活動を通して、
いろんなシリア人難民のお家にお邪魔させていただいてます。
加えて、別のNGO等にも、すこーし関われそうな気もしています。
あとは、1ヶ月1回、インターネット生放送をしますので、
また、少しずつ情報を掲載していこうと思います。
明日また、思うままのことを書いてみようと思います。
それでは。
シリア料理!
ヨルダンにきて、やっと1週間。
相変わらず、語学の壁は厚いです。
さて、「YumYumヨルダン」カテゴリーの更新です〜。
一発目は、シリア料理!
ヨルダンなんてカテゴリの名前冠してる割に、シリア料理ですが、
ヨルダンで「出会った」料理にフォーカスするので、まあいいでしょ。
名前は「ファティ」
だったかな。
上にひよこ豆がのっていて、
下の層はなんだったんだろう。
ヨーグルトというより、クリームチーズに近い味(だけど控えめ)で、
すごく食べやすかったし、美味しかったです。
美味しすぎて、おかわりしました。
お腹いっぱい食べた後は、
紅茶を飲むんですけど、こちらの方は
砂糖をこれでもかと入れて、飲んでます。
とびっきり甘いです。
糖尿病とかの問題と直結するんですかね。
僕の友達がその辺について、卒論を書くほどなので、
後々楽しみです。
それでは!
シリア人難民のお家にて、
ヨルダンにきて、数日、
そろそろ気持ち的にも落ち着いてきて、
なんとか頑張れそうな感じです。
表題の内容については、3段落ほど飛ばした先にあります。
新しい連載企画を2つ考えました。
もともと考えていた、カテゴリは「ヨルダン日記」
以降このカテゴリはとりとめのない気持ちなどを書く時に使わせていただきます。
新カテゴリ
「活動レポート」
そのままですね。僕がインターンシップとして活動しているサダーカのお仕事の内容をちょっとずつご紹介していければ良いなと思っています。
Next
「YumYum ヨルダン」
これも名前の通り、ヨルダンで出会った美味しい料理たちをシェアしていければいいなーと思っています。それによって、中東のイメージが少しでもよくなってくれれば、とても嬉しいです。
まぁ、でも多分、これ以降も少しずつカテゴリは増えていくと思います。
観光スポットや、日常での面白かった出来事などなど。
さて、雑多な話は置いといて、
お世話になったシリア人の方々は本当に暖かく迎えてくれて、
とてもうれしく思います。
ご飯を出し、たまには寝床を貸してくれて、
日本ではあまり経験できないような、経験をさせてもらってます。
(念のため、難民の彼らが写っている写真を載せる時は加工します)
さて、ヨルダンは5日前くらいは日中も肌寒いと感じていたのですが、
昨日あたりから急に日中は気温が暑くなってきて、普段は半袖でも生活できるような感じです。
ヨルダンの市街は、車の渋滞が多く、忙しいというような印象を覚えますが、
時折、道端に咲いている花がとても綺麗で、感動する時もあります。
あいにく、一眼のカメラを持っておらず、iPhoneの写真ですが。
余裕が出てきたら、一眼を持ってぶらぶらしたいなーと思ってます。
到着二日目 後編
Galleria Mall でのアイスの軽食後、
サダーカ関係者の皆様と一緒に次のシリア人難民の方々のお家へ行きました。
1軒目は、夫婦と六人の子供達がいるお家でした。
彼らのお家に入ってすぐ、違和感に気づきました。
家だというのに、家具はほとんどありませんでした。
ガラガラの室内、くたびれた寝床。
ギリギリの生活を垣間見たような気がします。
彼らの収入源は、日雇いの仕事でした。
しかしながら、毎日日雇いの仕事があるわけでもなく、
家にいる間は、ボーッとしているそう。
話を語る父親の声には、疲れが混じり、悲観的な意見が多かったです。
一方で、子供達はそのような状況下でも、笑顔でした。
僕の心は反対に、言いようのない不安というか心配が募って行きました。
僕が思っているより、かなり過酷な状況で生活をしている現状に、言葉では言い表すことのできない感情が湧きました。
このレベルで生活している人間が、数え切れないほどいる。
これよりひどいレベルで生活している人もいる。
シリアの紛争ってなんなんでしょうか。
罪のない人間が傷つけられ、先進国があぶく銭を稼ぐだけ。
実際の現場を見て、
さらにそう思います。
僕にできることとは。。。。
到着二日目
さて、ヨルダンについて二日目になり、
朝から先輩のなおさんの元へ行き、ヨルダンでのお部屋探しをしつつ、
Galleria Mall という大きめのモールへ行きました。
暑かったということもあり、
アイスクリーム屋さんへ。。
Bekdash というアイス屋さん。
何と、シリア発なんですねー。こんなところでも、シリアに触れられるというのは
すごく嬉しかったです。
そして食べたのはこれ。
スニッカーズ味のアイスをベースに、
ナッツがこれでもかと、かかってます。
至福のひとときでしたかね。
そして食べ終わったあとは、
サダーカの方々と一緒に、次のシリア人家庭の元へ足を運びました。
それは次回の記事で。
ヨルダン到着 後半
前半に続き、
ヨルダン到着した日の後半を語りたいと思います。
ホテルについて、
1時間半後くらいには、現地にいる先輩(なおさん)と、
僕がインターンシップを行うNGO、サダーカの関係で来ている、方々と合流し、
シリア人難民の家庭に訪問しました。
ついて1時間ほど経った時、
・32時間という長すぎる空路での移動
・ヨルダンでの不安
・時差
の3つの影響で、周りから見ても、やばそうな顔をしている僕を気遣い、
シリア人の方は、ベッドを提供してくれました。
ものの3分で眠りに落ちました。
まだ会って初めてなのに、ベッドまで提供してくれる、温かさを思いっきり感じることができました。
この時点で時間は15時くらいだったかなー、起きたのは19時か20時くらい?
この頃には、サダーカの代表でもある、マサさんも合流しており、
ご飯を頂きました。
ついて早々、シリア人のご飯を食べるという経験をするのは僕だけでしょうかね。
ご飯美味しかったです。米にソラマメを炒めたやつとフライされた何かを合わせたご飯は美味しかったです。別でサラダも出ていたのですが、これにはミントが入っており、どうにもお口に合わなかったです・・・ごめんなさい。
それからは、楽しい歓談を終え、
マサさんの車でホテルの近くまで送ってもらい、
寝床につきましたとさ。
次回、到着二日目、「新たなシリア人の元へ・・・」
ヨルダン到着 前半
えっと前回の記事では、ドバイ軽食編にするつもりだったのですが、
ヨルダン着いてからすっっっっっごい疲れて、ブログを書いてなかったので
軽食編は飛ばします。いつか書くかも。
さて、ヨルダンについて、
空港で、入国審査を・・・
通路には、
"Jordanian"
"Visa Holder"
"Visa Purchase" の3つの入国ゲートが。
僕はVisaをすでに日本で取得していたので、Visa Holderの列へと行きました。
あと、2、3人というとこで、隣のおっちゃんから、
お:「ここはヨルダン人の列だぞ」と言われました。
僕:「本当ですか?ありがとう」(あ、マジかー、一旦列出て空港の人に聞こう・・・)
という心境で一旦列を出て、空港職員にVisa Holderの列どこですか?と
職員:「そこやで〜」(さっきの列を指しながら)
僕:「えぇ本当ですか・・・?」
おっちゃんに間違った情報を言われ、結局入国に40分程かかりました。
それから、荷物を取り、最後の検査を受け、
空港を出ました。
空港すぐのZainというSimカードショップで、
Simを買ったはいいが、使えない。よく分からない。
ネット使えない。
不安がこみ上げる一方でした。
さて、ヨルダンのクイーンアリア空港から首都のアンマンまでは
バスで行かなくてはなりません(タクシーは高い)
ホテルの近くである目印の"1st circle"に行きたいとバスの発券所の人に伝えたはいいものの、、、
バスドライバーに英語で言っても、アラビア語が返ってくるばかり。
この時点で泣きそうになりました。
結局指示されるがまま、バスに乗り込み
約20〜30分くらい乗ってたと思います(その時は1時間くらいに感じました)
結果、バスとかタクシーの大きな停留所に着き、
もういくらお金を使ってもいいからホテルに行かせてくれと思い、
絶対にぼったくり(僕が勝手にぼったくり価格を払いました)であろうタクシーに乗り
ホテルまでの事なきを得ました。
ちなみにタクシー運転手のビランさんはいい人でした。
普通アンマン市内であったら、タクシー価格は2〜3JDくらいらしいですが、
物価もよくわかってない僕は結局10JD払いました。
ホテルについても不安は全く拭えず、それはストレスになり
疲れは溜まってく一方です。
結果、ホテルのベッドで倒れながら
泣いてました。これから先の不安。
それだけでも十分、僕の心は疲弊してました。
前半は以上
後半へ続く。